レヴィ・ストロース氏が『野生の思考』の中で示した“Bricolage”についてもう少し引用してみたいと思います。

 氏は自らフィールドワークを行うことによって、自然条件が厳しく近代文明にも晒されていない熱帯雨林地帯や乾燥砂漠で生きている人々の生き方を目の当たりにし、自然と対峙しながら生きている人間が持つ元来の適応力と応用力に強い関心を持ったのでした。その適応力や応用力を生み出す思考と創造について、現代科学では説明しきれない、むしろ芸術に成り得るという考え方を“Bricolage”として示しているのです。
 自然と共に生きていく方法を見つめ、 自然を理解する方法を見つめ、多くの世代に渡って知識を集積しそれを使いこなし智恵を育んできた。その自然と時間と人の繋がりによって培われてきた智恵が、課題を解決する際に融通無碍な形となって対応していった。そこには、科学的論理よりもむしろ臨機応変に対応する知性としての“Bricolage”があるのだと。

 何にでも理由と原因を求め、原因を究明しそして解決することが望まれている現代社会。あらゆることに科学性と論理性が求められ、出された結論はその後、理論化・標準化され従っていくしかありません。介護の世界にもこの科学性と論理性が求められ、業務の理論化・標準化が目標にされるようになって久しいように思います。
 この考え方に警鐘を鳴らし、介護の世界に“Bricolage”の考え方を持ち込んだのが、三好春樹さんです。施設職員から独立し「生活とリハビリ研究所」を立ち上げたのは、1985年のことです。あれから24年、介護の世界はどう変わったのでしょうか。

 さらにレヴィ・ストロース氏は単一化された文化を憂い、多様性が人間として大切なものだと訴えました。障害者も高齢者も認知症高齢者も、介護保険の時代になって突然現れた方々ではありません。ずっと昔から私たちと生活を共にしていたのです。そして私たちと共に生きる方法があり、お互いを理解し合う智恵があったのです。そして、次々と起こる課題に対して、その経験をもとに対応してきたのです。なにも難しいことをしてきたわけではありません。人として生きる知恵を、障害者に対して、高齢者に対して、認知症高齢者に対して形を変えて対応してきたのだと思うのです。介護は“Bricolage”だと思います。

 泣くことしかできない赤ちゃん、親に依存しなければ生きていくことが出来ない幼児・子供の頃、自我が芽生え自立を求めて歩み出す少年時代、そして青年・成人・壮年期と過ぎ、やがて熟年・老年期になり再び人に依存するようになるのは自然なことです。人間として生きる多様性を、成人期の価値観を元に規定してしまい単一化してはいないのでしょうか。

 三好さんは、レヴィ・ストロース氏の死をキッカケに『野生の思考』を読み直そうと語っておられます。難解で高価な本ですが、私ももう一度チャレンジしてみようかと考えています。